しゅーの日記

ゲイの生活や臨床心理学の、日々の記録

死への恐怖

 中学生の頃だったか、自分がいつか死ぬという事実に対してひどく恐ろしくなった。死んでしまったら、永遠ともよべる無の中に帰してしまい、そこから生き返ることなんてないのだということが、他の何よりも重大なことのように思えて、圧倒されたのだ。

 そして、いつの頃だったか、別にそれでもいいと思い始め、いつか死ぬという事実に圧倒されなくなってきたのは。歳を重ねるといろいろと諦める機会が増えてきて、達成志向的ではなくなる気がする。結果に執着すると、死ぬのが怖くなるように思う。その意味で、今日という日が人生最後だったらと考えて、無駄を削ろうとすると逆に死ぬのが怖くなる気がする。死に圧倒されなくなってきたのは、前より適当に過ごす日が増えたからかな。

好きになりやすいひと

 最近、自分の好きなタイプを客観視できるようになった。ゲイ同士で会うと、好きなタイプは? という話になるが、その度に「うーん」と言葉が出ずに困り、相手を困らせていた。たしかに、顔だけでいうと好きなタイプの傾向はある。でも、今まで好きになってきた人ってそういう人だった? もしくは、そういう人が現れたら好きになる? って考えると、必ずしもそうではない。顔以上に、自分の好きという気持ちの核となる要素があるような気がして、それが捉えきれずに「うーん」となっていたんだろうと感じる。

 今まで、好きになってきた人たちのことを思うと、一定のパターンがあるように感じる。それは、顔を超えた何か雰囲気のようなもので、全体の雰囲気でこのタイプが好きという型が自分の中にある。その型を目の前の人に見出し、自分の中にあるその型が活性化する。目の前の人それ自体を好きになるというよりも、自分の中にある型に惚れ惚れし、当てはまらないところは捨象され、型以外のところは見えなくなっている、つまり盲目的になっているという方が近い感じがする。

 その型というのは、一言で言い切るのはまだ難しい。断片的なイメージでは、かわいいものが好きで、対人不安が少しあり優しく丁寧な感じである。中学で初めて恋をしたとき、初恋の人は熊さんのかわいい反射板のようなものを自転車につけていて、「なにそれかわいいー!」って思った。当時ぼくは、同性愛嫌悪が自分の中で強くて、かわいいものを堂々と身につけることに抵抗感があったからこそ、そんなことをできる人に憧れの気持ちを抱いていたのだと思うし、分かり合える気持ちを抱いていたのだと思う。思うと、好きになる型は、自分と重なる部分が多くて、この人なら分かり合えそう! みたいな気持ちを幻想的に抱いているのだろうなあ。

修士論文の終わり

 修士論文を提出し終えた。思ったほどの解放感はなく、少しばかり心がおだやかになっていた。一旦は解放されたけれど、すべてから解放されたわけではなく、今後続く長い道の、新たな始まりなのだろうといった心持ちであった。とはいえ、ずっと修士論文に2年間悩まされてきていたので、ようやく終わったとしみじみ実感する。テーマがゆれにゆれて自分って何がしたいんだっけ?ってなったり、モチベーションが底をつき調査が大幅に遅れたり、2年の12月あたりからようやく本格的に論文を執筆し始めたり(良い子は絶対に真似をしてはいけません)、もうだめだ、卒業できないと何度も思い、逃避的になってずっと低エネルギーだったように思う。それでも、何とかなったんだ、と今は我ながら驚いている。この想いを、いまの僕が書き記しておく。

 

 

(調査にご協力いただいたみなさん、本当にありがとうございました)

記録の大切さ

 すこし前から、恋をしている。これが恋だ! って生まれたときから備わっている本能としてわかったわけではないけれど、あくる日も四六時中その人のことを考えてしまうのだから、これが恋ってやつなんだろうなぁってあたまで理解したのだ。あ、自分、恋をしているー! って自分の行動に後づけで思って、不思議な感じだ。恋ってこういうもんでしたっけ?

 ところで、タイトルを「記録の大切さ」としている。今までブログを書いたり、日記をつけたりしていたけど、ふとしたときに恥ずかしくなって、衝動的に消してしまうことを何度か繰り返して、せっかくつけた日記もあまり残っていない。時間というのは、意外とあっという間に過ぎ去ってしまい、振り返るとそんな年数経ってたっけ? という感じがする。先を見れば長いが、振り返ればあっという間なのだ。そんなとき、過去に日記が残っていたらなあと思う。昔、自分が恋をしていたとき、その最中の気持ちってどんなんだっけ? と、当時の気持ちを生々しく綴った文章を見れば、何となく理解できる。記憶だけじゃ、当時の気持ちなんてものは、喉元過ぎれば熱さ忘れるとか何とかで、全然覚えていやしない。記憶は、いまの自分の都合のいいように改竄されてしまうのだ。

 曖昧な記憶を頼りに、過去の恋愛について思い返すと、たぶん同じパターンを繰り返している。人は、その人なりの特徴をもっていて、反応パターンというのはある程度決まっているようだ。だから、文章で当時のぼくが感じていた気持ちが綴られていたのを見ることができれば、だいぶ自分の理解に役立つなあということを感じていて、記録は大切だ! って思った。漆を塗るように、ちょっとずつでもいいので、日々積み重ねることの、大切さを実感する。

共分散構造分析のサンプルサイズをどう設計するか

  調査において事前にサンプルサイズを設計することが必要である。

 なぜなら、小さすぎれば統計の精度が落ち、大きすぎれば実質的に意味のない差でもp値は低くなり有意になってしまったり回答者に過度な負担をかけ倫理的によくなかったりするからである。

 

 サンプルサイズを設計するために、検定力分析を活用する*1

 以下の4つの要因は、他の3つが決まれば、もう1つが決まるという関係になっている。

 ①サンプルサイズ

 ②有意水準

 ③検定力

 ④効果量

 

 事前分析においては、cohenの5-80ルールに従い、有意水準を5%、検定力を80%に慣習的に設定することが多いようである。

 残りは、効果量をどう設定するかという問題だ。

 

 シンプルな研究デザインなら先行研究より推定できそうであるが、複雑になると難しい。

 

 さまざまな情報をみていると、錯綜しているように思う*2

 

 以上の検定力分析に基づいて、共分散構造分析のサンプルサイズ の設計の計算法があるみたいなのだが、現在のぼくのキャパシティを超えている・・・*3

 

 簡単に計算できるサイトもあるが、残潜在変数と観測変数の数を入れる必要があるのだが、ぼくの研究では、因子分析から共分散構造分析を同じサンプルで実施しようと思っているので、事前に観測変数の数を予測するのが難しい*4

 

 そのため、200以上必要という主張に基づいて、サンプルサイズ を設計してみる*5

 

   

その他、参考にしたサイト・文献

SEM: Fit (David A. Kenny)

心理学ワールド 85号 保育と心理学―新しい関係を目指して サンプルサイズの決め方 | 日本心理学会

サンプルサイズ/共分散構造分析 - PukiWiki

Wolf, E. J., Harrington, K. M., Clark, S. L., & Miller, M. W. (2013). Sample Size Requirements for Structural Equation Models: An Evaluation of Power, Bias, and Solution Propriety. Educational and psychological measurement, 76(6), 913–934. https://doi.org/10.1177/0013164413495237